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この原稿は2003年の5月から11月にかけてたらたらと書いていたのですが
発表するタイミングを逃したまま、ずるずると今日まで来てしまいました。
まぁせっかくなので、ということで今更ですが公開します。
読んでいただければ幸いです。
2004/05/26
さらにきっかけがなく放置していたのですが、今回、せっかくなので
公開することにしました。
途中で終わっています。
2007/05/09
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1.去年の選手権の帰り道
2002年5月。第12回選手権の帰りの車中で何度も自問自答していた。
「もうだめなのか。このまま消えていくのか・・・」と。
成績を見れば明らかだ。第9,10回は運の助けもあり2位。しかし11、12回では
5位、8位。成績は下降をたどる一方だ。12回は予選ですら6勝3敗。決勝進出だけでぎりぎりだった。
上位に長期間君臨するのは難しい。
金沢さんの4年連続トップはその意味でも凄かった。
そして消えていった人達は確実にいる。
今回、自分が優勝できなかったことを除けば柿木将棋、金沢将棋の両古参が
決勝に進めなかったはショックであった。人事とは思えないだけに。
長期間作り続けているとソースもごてごて古く巨大になっていき、
固定概念にとらわれがちで新しいアイデアをさくっと取り入れにくくなる。
一から書き直したい誘惑に何度も駆られたが、今までのソースの巨大さから断念したり
途中まで書いてみたものの挫折したりしている。
ただ、柿木将棋、金沢将棋の予選落ちは不運によるものも大きいだろうが間違いなく優勝は
出来ない成績ではある。最強のみを決める選手権のルールから考えれば妥当とも言える。
とはいえ、昔から戦ってきたライバルが決勝に残っていないのはやはり寂しかった。
どんなソフトでも決勝に残れる保障はどこにもない。
やはり地道な改良と何か一発逆転できる斬新なアルゴリズムを求めて
日々頑張っていくしかないのであろう。
2.2002年王者戦
2002年10月の将棋連盟主催のコンピュータ王者決定戦。この年にこの大会が
開催されたのは非常に幸運だった。そして8位とはいえ決勝に残って
出場権を得たことはラッキーだった。つくづくテジン戦で勝てたのは大きかったと思う。
選手権は1年に一度しか大会がないためモチベーションを維持していくのが非常に難しい。
作り出すと狂ったように没頭するのだが、作り始めるまでが遅いのである。
で、遅いまま1年が経ってしまったりする。
身近な目標が出来たことで改良をする気にさせてくれた。
そして、IS将棋に負けたとはいえ6勝1敗で形としては優勝(気分は2位だが)
当時としても優勝できたのはかなりラッキーだったと思う。実力的には4位程度だったか。
3.並列探索
並列探索には興味があって2002年の選手権前にソースをCからC++にざっくり移し変えた。
何をしたかというと、今までの盤面のデータ構造をまるごとclassの中に放り込んだのである。
継承とかは使わず、classも一つしか存在しない。C++で組んだ経験はないのだが、恐らく
かなりご法度的なclassの使い方をしている気がする。
並列のソースはCraftyという非常に詳しく優秀なソース付きのチェスソフトのサンプルがあったので
これをお手本に勉強していた。ただ、12回選手権には並列化は間に合わなかったが。
13回選手権では3月から4月にかけてようやく動くようになった。
最初はAthlonMPのDualで1.2倍ぐらいの速度だったが、コピーするデータ数を小さくなるように
調整して、少しましになった。
それでも1秒あたりの探索局面数では1.6倍、実際の勝率から計算すると1.5倍程度の高速にしか
なっていないようである(2倍の時間を使うと自己対戦では66%ぐらいの勝率が得られるが、
並列探索バージョンは58%程度の勝率しか得られなかった)
もっともこんなにさくっと並列ができたのはCraftyというが非常に参考になるソース公開の
ソフトがあったおかげである。まさにCrafty様さま、である。
4.確率探索
2001年のコンピュータ将棋界で一番衝撃的だったのは激指の確率探索であろう。
アイデアももちろん斬新だし、それを形にして実績を残した、というのが何より凄い。
あまりにも魅力的なこの方法が頭から離れず、変革を恐れるようではだめだ!とばかりに
12回選手権の1週間ぐらい前に急遽激指の確率探索を導入した。
なんだか長い最善応手手順も返ってくるようになり、良さそうである。
直前の版との自己対戦では互角の成績だったので急遽これで行くことにした。
・・・結果は決勝8位の惨敗。
この後、他のソフトとかと対戦データを取り直すと5割ぐらいの勝率が3割程度まで下がっていた。
後から見直すとそもそも実装がかなり間違っていた。付け焼刃はダメですね。何事も。
その後も確率探索を試したが通常版と互角に近い強さにはなった。
ただ、13回選手権では使い慣れた0.5手延長のバージョンで出場した。
個人的には確率探索は読みが浅い部分でのみ有効で、読みが深くなるにつれ、その効果は
下がっていくと思う。
5.2003年、13回選手権 1次予選。
1次予選の途中から見学していたが、面白いと思ったことをいくつか。
鈴木将棋の鈴木さんはデスクトップのフロントパネルにミニ液晶ディスプレイをはめ込んで
普通のディスプレイなしで対戦していた。速度と持ち運びやすさを考えると理想的かも。
ただ、さすがに小さすぎて見にくいと思うのですが・・・。
他に、なるほど!と思ったのが礒部将棋で、本体はキューブ型の小型パソコンでこのデスクトップを
VNCを使ってノートの液晶画面上に表示させていた。LinuxのX-WindowをVNCを使って
LAN経由でWindowsの画面上に表示させるのは使ったことがあったのだが、Windowsのデスクトップを
別のWindowsの画面に出せるのは知らなかったので。
2次予選で期待していたのはAoi10000+であった。
事前の参加者リストではAthlonMP2400+を4台並列に繋いで参加する、らしかったのだが
残念ながらうまく動かずに1台のみでの参戦となっていた。
初日の夜は吉村さんとグリンベルゲンさんとで木更津駅近くまで夕食を食べに車で行く。
が、どこも一杯で結局入れたのはちゃんこ屋だけであった。選手権の時にファミレスに夕食を食べに行くのは危険である。
翌日はもっと悲惨で吉村さん、棚瀬さん、岸本さんとあちこち回ったものの結局コンビニ弁当、という羽目になった。
6.2次予選。
さて、2次予選
1局目は大次郎と。
いつもそうだが選手権の一番最初の対局はかなり緊張する。
対局開始のボタンを押すまでに先読み機能はチェックしたか、選手権用の#defineを
ちゃんと定義したか、とか心配でバタバタしていた。
終わってみれば快勝。
2局目。うさぴょんと。
YSSは Xeon x2 でHyperThreadingを使わない単純DualCPU。
うさぴょんは Xeon x2 でHTも使った仮想4CPU。金がかかってるハードな対決である。
しかし個人的にはHTは1.2倍程度にしかならないので木探索では十分な台数効果は得られず
向いていないと思う。
さて、この対局は・・・万が一にも負けるとは思ってなかった。とは言いすぎか。
実際には100回に3,4回くらいか?(これも言い過ぎかも)
去年のGPWでは1秒将棋でも勝っていたし、どんな戦型でも楽勝だろうと思っていたが
これがYSSの序盤のヘタクソさを露呈するいい対局となった。
後手:Usapyon
後手の持駒:歩
9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香v桂 ・v金v玉v金 ・v桂v香|一
| ・v歩 ・ ・ ・ ・ ・v飛 ・|二
| ・ ・ ・v歩v歩v歩 ・ ・v歩|三
|v歩 ・ ・v銀v角v銀v歩v歩 ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五
| 歩 馬 ・ ・ ・ ・ ・ 歩 ・|六
| ・ 歩 ・ 歩 歩 歩 歩 ・ 歩|七
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 飛 ・|八
| 香 桂 銀 金 玉 金 銀 桂 香|九
+---------------------------+
先手:YSS 11.52
先手の持駒:歩
手数=30 △4四銀 まで
先手はほとんど初期局面なのに後手だけ駒組みが進んでいる、という間抜けな局面である。
うさぴょんが飛車を振ったのでYSSは美濃囲いに組もうとして78に上がった金を2手もかけて戻している。
それでも勝てるだろう、と高をくくっていた。やばいかも、と思ったのは△77歩の好手を打たれた
時である。
後手:Usapyon
後手の持駒:なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香v桂 ・v金v玉v金 ・ ・v香|一
| ・v歩v飛 ・ ・ ・ ・ ・ ・|二
| ・ ・ ・v歩v歩v歩v桂 ・v歩|三
|v歩 ・ ・ ・v角v銀v歩v歩 ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五
| 歩 ・v銀 歩 ・ ・ ・ 歩 ・|六
| ・ 歩v歩 ・ 歩 歩 歩 ・ 歩|七
| ・ 玉 銀 馬 ・ 銀 ・ 飛 ・|八
| 香 桂 ・ 金 ・ 金 ・ 桂 香|九
+---------------------------+
先手:YSS 11.52
先手の持駒:歩
手数=44 △7七歩打 まで
以下、殺到されてあっという間に潰された。
負けはしたが、この内容なら仕方が無い、とそれほど致命的なショックではなかった。
(それよりも、この後のKFEndとのテスト対局で矢倉から攻め潰された方がショックだった。)
予選で2つ負けたら優勝など無理だ、と言い聞かせていたこともあり、
いきなりいがけっぷちになってしまったが。
ちなみに2次予選では柿木将棋戦以外はデータも取っていないので定跡は乱数に任せていた。
うさぴょんで変な定跡を選んだのもたまたまである。
長い眼でみればこういう負け方をしたのはプラスになると思う。
いつも同じ戦型では偏ってしまうので。
Tacos戦。TacosはComputer OlympiadでIS将棋や金沢将棋に勝っていただけに
当たりたい相手であった。将棋は相穴熊で36手目まで定跡で進むつまらない展開。
棒銀が成功して快勝。
KFEnd戦は相矢倉。こちらは40手目まで定跡で進む。
今思うと前局といい定跡に頼りすぎである。一番弱いところを手抜きでは
序盤の問題点が出てこない。次回からはもっと早く外そうと思う。
将棋はすぐに戦いになって、押さえ込みに成功。攻め合いにいかずに△53とを取っておけば快勝だったのだが。
危なかったが入玉して勝ち。この後、KFEndの時間計測がなんだかおかしい、という話になり
テスト対局をすることに。で、予想外にも完敗。思えばこのテスト対局の結果は決勝の時に大きかったかもしれない。
関田将棋戦
関田さんとの対局は久しぶりである。角換わりから▲72歩の垂らしを軽視して劣勢になるが、必死が
あっさりかかって勝てた。
大槻将棋戦。
金沢将棋を破っていたこともあり、かなりびびっていた。
大槻将棋の向かい飛車からYSSは居飛穴へ。組もうとした瞬間に仕掛けられるが、地平線の歩の叩きが
あって、敵は飛車先の歩が切れて歩切れになり、いきなり勝勢に。以下、受けに回って勝ちきる。
永世名人戦。
相矢倉の手詰まり模様から歩得に眼がくらんでYSSの金銀がばらばらになる展開に。やはり読みの途中で
評価関数の切り替えが必須だと思わされた。薄い陣形に攻め込まれて不利に。
96手目の△49角を永世が打てなかったのに助けられて▲72飛と下ろせて逆転。
この時点で6勝1敗となり、決勝に残る5位以内に入る確率が高くなったので一息ついた。
(仮に連敗しても強い相手と当たってソルコフが上がるため)
柿木将棋戦
柿木さんはすでに3敗しており、ここで負けると確実に決勝に行けない状態だった。
複雑な心境でパソコンの前に座る。
角換わりからの▲25桂跳ねになぜか△24銀と逃げない。
この瞬間、終盤と判定してしまったため金銀を固める△43銀を選んでしまった。
読みは深いのに評価がほんとにいい加減だ。
ただ、角換わりは対柿木では勝ちやすい戦型だけに以下、馬を作って勝ちきる。
引導を渡したのがYSSになってしまい終局後はそそくさと現場を離れた。
最終の9回戦。ハイパー将棋戦。
7勝1敗と6勝2敗同士で、ハイパーさんは負けても決勝の可能性が高いため、かなり気楽な対局に。
対四間飛車にYSSの角が△44角とふわふわ動き、
1回目の千日手は歓迎するノータイムルーチンとかが働く。
で玉形が不安定なままYSSの飛車が死んでしまう。まずい。
ここで△56歩が苦し紛れの好手だったか?
以下、敵の銀の遊び駒の差が響いたか、最後は入玉した王が動いて必死をかける、
というかなり変わった手で勝利を収めた。
7.決勝
今年も決勝に残ることが出来た。そういう意味ではほっとした。
が、やはりほとんど眠れず、朝4時ごろ目が覚めてまんじりと朝を待っていた。
1回戦はいきなり前回優勝の激指とである。
今回、連続対戦させたソフトは激指2と東大5で、
また、激指は最強モードでもあまり思考時間を使わない。
それでもあっさり負ける。ころころと。序盤から中盤の入り口でもノータイムで
飛ばしてくるのだが、ここをもっと長考されたら勝率はもっと下がると思う。
最終的にDual Xeon3.06GHzで走らせたYSSは同じくXeonの1CPUのみを使う激指2に
7割5分の勝率で勝つようになった。ただ思考時間では2倍の差がついている。
例えばこんな風になる。
--- 連続対戦 YSS 11.35b - Geki2, 対戦数=1000 --- 2003-04-17 16:08:23
AthlonMP2000+ RML=8,t=19,mt=2
YSS Geki2
横歩 12 9
角換 31 11 0.73 ---> 角換わりもよし。
居57 31 25 ---> やはり57銀急戦は弱い。
居穴 25 10 0.71
居左 73 33 0.68 ---> まともに組めばよし
空中 22 16 0.57
振穴 36 9 0.80 ---> 振穴は圧勝。
振飛 107 80 0.57 ---> 振飛車で美濃囲いだと弱い。
不明 1 0
矢倉 105 79 0.57 ---> 相矢倉は避けた方が無難か。
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443 272 0.62 715局
総思考時間
YSS 激指2(激指の思考時間は木偶の坊の操作時間(1手2秒)を含む。実際は7000分程度か)
(9551分,11942分) YSSは並列で動作。そのため両方とも先読みなし
これは約2週間走らせ続けた結果である。
実際の対局は予想外に一方的な展開になってあっさり勝った。
拍子抜けするほどに。
ただ激指とISに勝つためだけに改良してきただけあって、この勝利はかなりうれしかった。
2回戦。
KCC将棋。第11回大会で初めて3位に入った時のKCCは強かったと思うが、
市販ソフトの銀星3との結果を見ている限り、KCCにそれほどの強さは感じなかった。
さらに振飛車には棒銀で突破しやすいように評価関数を改良していたのだが、これが的中。
一方的に振飛車穴熊を押さえ込んで勝つ。
KCCは決勝ではYSSと共に唯一DualCPUで動いてたプログラムでもありこれを制したのも
ちょいとうれしかった。
3回戦。KFEnd
前日に練習試合で矢倉で完敗したので矢倉だけは避けようと思った。
特にKFEndは多少駒損しても矢倉で攻めてくる評価関数が出来ているようなので。
で、先手番でもあったので3手目角交換から角換わりに持ち込み、快勝。
前日のKFEndの時間計測のバグのおかげ?の勝利です。
4回戦。備後将棋。
初参加ながら1次予選から決勝まで駆け上がったソフトである。
数年前のフィンランドのShocky以来だと思う。
相矢倉から途中、無意味な手損の歩交換を繰り返す。矢倉に関わらずYSSは時々これをやる。
どうにか矢倉つぶしの理想型に組んで仕掛けてからは勝ちに。矢倉の知識の差が出たか。
5回戦。IS将棋戦。
10月の王者戦以来改良してきた日々はこの一戦のためにあった、といっても
過言ではない。
東大将棋5と何千局と連続対戦させて負けた将棋を修正する、という地道な
作業を繰り返してきた。
戦型は悩んだ。IS将棋の矢倉は強い。
過去IS将棋の4手角に何度苦杯を舐めたことか。
戦型で言えば恐らく角換わりの方が勝率が高いのであろう。
ただ、それだけに矢倉で勝ちたい、というのはあった。
多分これからも勝つまで矢倉にするような気がする。
後手:IS
後手の持駒:歩
9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香v桂 ・ ・ ・v玉 ・v桂v香|一
| ・v飛 ・ ・v金v銀v金v角 ・|二
|v歩 ・ ・v銀v歩v歩 ・v歩v歩|三
| ・v歩v歩v歩 ・ ・ ・ ・ ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・v歩 ・ ・|五
| ・ ・ 歩 歩 歩 ・ ・ ・ ・|六
| 歩 歩 銀 ・ ・ 歩 ・ 歩 歩|七
| ・ ・ 金 ・ 金 銀 ・ 飛 ・|八
| 香 桂 角 玉 ・ ・ ・ 桂 香|九
+---------------------------+
先手:YSS 11.55
先手の持駒:なし
手数=23 ▲6六歩 まで
▲35歩と突っかけたものの△同歩に▲同角、と取らない。
見てるときはいつでも取れる、と判断したのかと思っていたが
YSSは▲35同角だと、△75歩▲同歩に△77角成!という過激な順を
読んでおり、▲同金なら△88銀▲78玉△99銀成で△36桂の傷も残っているので
若干悪いと判断していた。無理筋だと思うが気持ち悪い変化ではある。
後手:IS
後手の持駒:なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香 飛 ・ ・v金 ・v玉v桂v香|一
|v飛 ・ ・ ・v金 ・v金 ・ ・|二
|v歩 ・ 銀 ・v歩v歩v馬v歩v歩|三
| ・v歩 ・ ・ ・ ・ 桂 ・ ・|四
| ・ ・ 銀 ・ ・ ・v歩 ・ ・|五
| ・ ・ ・ ・ 歩 ・ ・ ・ ・|六
| 歩v圭 ・ ・ ・ 歩 桂 歩 歩|七
| ・ ・v銀 歩 玉 ・ ・ ・ ・|八
| ・ ・ 角 ・ ・ ・ ・ ・ 香|九
+---------------------------+
先手:YSS 11.55
先手の持駒:金 銀 香 歩五
手数=86 △3三馬 まで
先に攻め込まれたが攻めが途切れた思った時の△33馬。
堅い手だな、とは思ったが角得につられて打った△78銀が悪手で
この瞬間は逆転していると思った。
しかし次のYSSの▲82銀成が状況判断が出来ていない敗着。
こんな薄い玉形で相手に攻め駒を渡す手はない。後手は切れ模様なのに
わざわざ遊んでいる飛車と銀を交換したがるのはコンピュータぐらいだ。
ここでは▲45銀と▲34桂を取らせずに上から攻めれば駒損だが指しやすかったと思う。
と、ちんたら書いてきたがこれは全部原稿を書いている段階の
判断であって、対局中は「内容はどうでもいいから勝ってくれ」としか
念じてなかった。局面を判断する余裕なんざまったくなし。勝又さんの
形勢判断で一喜一憂するのが精一杯であった。
そして結果は負け。
まだ優勝の望みはあったものの、IS将棋に勝てなかった、という事実がこたえた。
ここから一気にテンションは下がってしまう。
6回戦はHyper将棋と。
ハイパー将棋の四間飛車に、57銀左の急戦模様から銀が57でなく、77に上がってしまう。
相変わらず序盤は下手クソである。それでも駒組みに失敗したときに
矢倉に戻るルーチンのおかげで矢倉に組みなおしてくれた。
棒銀で押さえ込みに行く、という展開。こういう展開は個人的な棋風にも合っていて
好きである。押さえ込みながら徐々に得をして最後はころんと勝つ、というのが
強い人の指し回し、という感じで。
ハイパーが木村美濃(▲38金▲47銀▲58金型)がやや薄い玉形なのも
幸いして、やや有利な捌き合いから先に詰めろになる変化を見つけて勝ちきった。
これははっきり読み勝っていたと思う。
7回戦 永世名人戦。
この時点で既にIS将棋の優勝は決まっており、さらにはYSSの2位まで決まっていた。
かなりつまらない展開の選手権である。
しかも最後、IS将棋が激指に負けてしまい、こんなことならIS-KCC戦が最終戦だったら
ドキドキしながら見れたのに、と思ったものである。
永世名人とは今回どちらも危ない将棋になったのだが、どちらも状況が消化試合に
近かったので、のほほんとした気分で見ていた。直前に談合?して不利なときでも
千日手を打開しないようにYSSをコンパイルしなおしたりしている。
将棋は相矢倉に。永世名人が▲36銀▲37桂の形から▲24歩を突き捨てて攻めてきた!のにはビックリ。
この形は個人的に理想としているのだがYSSはいまだに突き捨てからの攻めができずに
銀桂が捌けずに負ける、というのを繰り返している。
もっとも永世名人も△同銀の後、▲25銀でなく▲25桂だったのでいまいちでしたが。
この後、薄い玉型をなんとかしのいで入玉して勝ち。
永世との2戦を通して思ったのは序盤、終盤、の判定を動的に変える必要性である。
YSSは1995年ぐらいからずっと探索開始前に序盤、終盤の判定をして、それによって
評価関数をがらっと変えている。これはやはりまずく、局面の進行度?といった
指標で探索中に局面の終盤度合いを判定すべきであろう。ちなみにIS将棋は
最近になって先手、後手それぞれに進行度を計算して、それによって後手、先手の駒の
王の距離による増減具合を変化させているそうである。
ちなみにこの将棋は勝又さんが隣に座って専属で解説をしていただきました。
中終盤以降、勝又さんの読み筋とYSSの読み筋とかがかなり当たっていたので
うれしいと同時に驚いた。コンピュータの終盤力がかなりな所まで来ていることに。
もっともあまりコンピュータに読み筋が似てくるのもまずいと思いますけど>勝又さん :-)
8.結果、そして自己対戦の功罪について
結果は6勝1敗で同星ながら直接対決で負けているので2位である。
昨年の10月の王者戦と奇しくも同じ勝敗となった。IS将棋だけに負けている点も
同じである。王者戦は優勝扱いだったが実質2位。
棋譜を見直してみると開発中は強くなったと思っていたが、それは
激指2、東大5に特化した強さだったような気がする。
2次予選と決勝を比べても予選の方が危ない将棋が多かったこともそれを裏付けていると思う。
上位との対戦で出現する悪い形は修正されやすいが、それ以外との対局で出現する悪い形は
当然直されることもなく、弱さを露呈していた。
もっと人間と対戦させる必要があるのだがやはり何千局もデータが取れるお手軽さは捨てがたい。
人間相手に100局対戦させるのはかなり大変だ。悩ましいところである。
また、今回自己対戦でパラメータを微妙に変えてテストしてみたのだが、自己対戦は
結構、微妙なパラメータに対して反応する。
しかしそれが他の市販ソフト相手に対しても同じような効果があるか、というとない方が
はるかに多い(というかそれほど検証してないのだが)。特に勝率0.53とか0.54などといった
小さいものの場合、対戦数を500局とかそれ以上かけないと検証できない点もやっかいである。
またかけた場合も定跡の選択などがあり信頼できるかは微妙だ。
その改良で強くなったかどうかの検証はかなり難しい。
結局のところ、最後は「強くなっているはず!」という自分の信念と「ここまで時間をかけて
組み込んだルーチンだから・・・」といった何の根拠もない理由で組み込まれることになる。
(明確に弱くなっている場合をのぞいて)
また、地平線効果を起こしやすい改良は得てして自己対戦では勝ちやすくなる傾向に
あると思う。他の市販ソフトや人間相手では逆効果になりそうで検証は大変なのだが。
9.改良した点など
今のYSSは深さ5以降では意味がなさそうな捨て駒は一切読んでいないので
深さ19まで読んだ場合の読み筋が「いびつ」になってしまっている。
10年前に作っていたときはまったく必要なかった読みの深い局面でも
正しく捨て駒などを読まなければいけないのだが地平線が怖くて手を出しかねている。
最善応手手順に現れない(α値を更新しない)場合で、結構駒を捨てる手が
最善になっていることが多く、このあたりの対策をきちんとしないと、と思っているが
いまだ原因を詳しく調べていない。
また地平線効果の対策として将皇の佐藤さんの手順による地平線効果を真似して
駒を捨てる手を最後に読むことによって、それまでに読んである手順を
利用して地平線効果を軽い延長探索で確かめる、
駒を捨てる前(又は駒当たりをかける前)の好手を覚えておいて、
2手の交換が終わった後に必ず
トレース地平線、と自分は呼んでいるが、トレースすべき局面(無意味そうな2手の交換をした局面)
が生じた場合にフラグとしてαβ関数に渡して、
試してみたがちょっとした手順前後が生じただけで、
トレースに失敗するため、頑張ったのだが断念した。
手順を利用した地平線効果対策を試してみたがどうもうまくいかなかった。
10月からの改良で一番効果があったのは
NullMoveCutと
自己対戦の勝率よりも対ソフトの勝率の方が変化は小さい。
NullMoveCut。R=2の場合で自己対戦では勝率が0.58近くあった。
これは東大5に対してもほぼ同じ勝率の向上が見られた。
激指に
また、取ったら詰む捨て駒、も勝率が6割近く上がる効果があった。
(取ったらn手で詰む王手、また、取ったらn手で詰む駒を捨てる手)
駒を捨てる手が効果がある場合は、駒を100%近く働かせていて、非常に効果的なので
かなりの好手の場合が多いのだろう。
10.3度目の準優勝
2位という成績は去年や最近の成績を考えれば上出来なのかもしれない。
しかし、勝てる!という予感はかなりあった。第7回大会と同じくらいに。
それだけに一番悔しい負けでもあった。
余談
その夜、
ホテルに泊まっていた棚瀬さんの部屋を訪れてIS将棋と戦型を指定しあったりして
3回対戦させる。選手権と同じレベルの将棋が展開しているのだが対局を見る気も
おきず、2勝1敗という結果だけ残った。未だにこの棋譜は並べなおしてもいない。
やはり場の雰囲気とか状況が大きいのだろう。
13回
1位 2位 3位 4位 5位
1997年 CSA 7 YSS 金沢 柿木 森田 矢埜
1998年 CSA 8 IS 金沢 Shot 柿木 YSS
1999年 CSA 9 金沢 YSS Shot 永世 IS
ISF1 YSS 柿木 IS KCC Shot
2000年 CSA10 IS YSS 川端 KCC Hype
2001年 CSA11 IS 金沢 KCC 激指 YSS
2002年 CSA12 激指 IS KCC 柿木 永世
ISF2 YSS IS 柿木 金沢 激指
2003年 CSA13 IS YSS 激指 KCC Hype
P.S.
本来、没にするはずの原稿でしたけど、GPWで選手権の参戦記はたくさんあったほうが
面白い、と話題になったので加筆してアップすることにしました。
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さらに追記
読み直してみるといい加減なことをたくさん書いてますね・・・。
1年前の自分の記憶など全然あてにならない、ということを再認識しました。
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